コーヒー御三家、吉祥寺もか
多くのコーヒー好きを魅了してきたコーヒー屋の吉祥寺もか。店主の標さんが亡くなって、もう随分と経ちました。
個人的にも非常に感銘を受けたコーヒー屋でありながら、どう記事にしていいかわからず、よくブログを更新していた頃にも記事にしていませんでした。
印象に残るコーヒーだった吉祥寺もかですが、想い出補正がかかってるんじゃないかと言われれば、もしかするとそうかもしれません。
今のコーヒー屋の方がコーヒーの質も高く美味しいのでは?とも思います。もしかしたら、今初めて吉祥寺もかのコーヒーを飲んだとしたら、美味しいコーヒーだねくらいしか思わないかもしれません。
ですが、当時、吉祥寺もかから受けたインパクトは、数多くまわったどのコーヒー屋より大きく、経験値の違いがあるとは言え、やはり偉大なコーヒーだったのではないかという思いも強くあります(むしろ経験値がすくないのに、これは何か違うと思わせたことがすごいか)。
当時はそこまでの名店だとは知らず、たまたま住んでいたエリアが吉祥寺と近く、コーヒーは好きだったので、コーヒー屋を色々と探していた中で出会ったお店でした。コーヒー御三家という言葉を聞いたのももっと随分と後のことです。
標さんにコーヒーを点ててもらったことはなく、コーヒー豆を買って自分で点てたコーヒーしか飲んでいませんが、それでも素晴らしいコーヒーでした。
全国のコーヒー屋をまわった時には、たくさんのお店で標さんの話を聞きました。すごい人だったとか、いや言うほどじゃなかったとか、あのやり方は違うとか、皆さん、色々言っていました笑。
ポジティブな意見にしろ、ネガティブな意見にしろ、気にはなる存在ではあったんですね。
少なからず多くのコーヒー屋から、吉祥寺もかの影響を受けているのを感じましたね。
吉祥寺もかは、コーヒー御三家と呼ばれるランブルやバッハ同様、日本のコーヒー文化の発展に貢献したコーヒー屋だと思います(一番貢献しているのはやっぱりバッハですかね)。
でも今主流のスペシャルティコーヒー店の若い店主たちは、吉祥寺もかをリアルタイムでは知らないわけで、どう思っているんだろうか。そもそも存在を知らないか、名前だけ聞いたことあるくらいか、過去の遺物のように思っているのだろうか‥。
僕も吉祥寺もかを経験後、スペシャルティコーヒーに出会い、これが今のコーヒーか!みたいな感じで、スペシャルティコーヒーばかり飲んでいた時期もありますが、質の高さとは何だろう?と疑問を持ち始め、昔ながらのコーヒーの魅力を再認識してきました。
コモディティが良いと思っているわけではありませんし、出所がわかるコーヒーが良いと思いますが、今のカッピングフォームで決められる優劣は、品質の一つの指標であり、絶対なものではないと思います。一つの指標では同じようなものしか生まれません。
質が高いと言っても、もっと色々な形があると思います。スペシャルティを質の高いコーヒーとするなら「標もか」なんかも違った形のスペシャルティコーヒーだったと思います。
昔のコモディティにはブレンドされた複雑さがあるものもたくさんありました。狙ったわけではない、偶然できていた味わい。むしろ質の高いものから低いものまで混ぜられたコーヒーからは、その国、地域らしさがそのまま出ていたように思います(美味しさとは違いますが)。
協同組合のワインが、その土地をもっとも素直に表現しているのと似ています。
今の若いコーヒー屋やコーヒー好きの方は、スペシャルティコーヒーにしか触れていない人も多いと思います。それは若干怖い、というかもったいないことじゃないかなぁなんて思ったりしています。余計なお世話だとは思いますが‥。
吉祥寺もかの味わいというか空気感は、山形のコフィアや福岡の美美に行った時にも感じることが出来ました。あぁ、吉祥寺もかのコーヒーもこういう感じだったなと‥(味が違うとはいえ)。
美美は森光さんが亡くなり、今、吉祥寺もかの味わいを感じられるのはコフィアだけかもしれません。
新潟の交響楽や、東京、田町にダフニ、北海道札幌のリヒト(閉店)も関連があるコーヒー屋で、それぞれ美味しいお店だと思いますが、似ているかと言うとちょっと違う感じがします。
吉祥寺もかがあった時代に東京に来ることが出来たのは幸運だったと思います。個人的には2000年代の新旧コーヒー屋が入り混じるような混沌とした感じが非常に好きでした。今はどんどん名店が閉店し、その分、カッコいいコーヒー屋やカフェが増えたとはいえ、少し寂しい気持ちでいます。
時間が経ち、味が思い出せなくなったとしても、吉祥寺もかから感じていた「色」や「温度」は忘れることはないだろうなぁ‥。
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標さんのコレクションのことを少し紹介している記事