見えてないもの

見えているようで見えていない

自分が思っている以上に、人は物が見えていない。ある分野において全てを極めたと思っても、実はそうではなく、自分の知らない世界がまだまだ存在していたりする。ふとした瞬間に(なにかのきっかけがあって)、見えてなかった世界が見えてくる。こんな世界が自分の足元にあったのかと。


わかったつもりになるのが一番怖い。ワインのソムリエの試験なんかもそうだけど、ただ頭に入れるだけの知識は、理解とは程遠い。ワインの造り方を本で読んで、わかったつもりになっている人もいる。実際に体験してみると全然違う印象を持つだろうし、何度もやってみるとまた景色が変わる。仕事としてやれば、また違う見え方をする。
見えてない世界はその人にとって存在していない世界なので、教えても、そんなことはないって否定されてしまう。存在してないんだから当たり前だ。でもなんとかそっちに目をむけさせることが出来たら、深くのめりこんでいく場合がある。


コーヒーでもスペシャルティに偏った人たちは、焙煎や抽出による細かい味の差異がわからなかったりする。そんなことは意味がないと否定する。でも僕は微妙な抽出の技術によって味わいが大きく変わることを知っている。本当にわずかな味の違いのために試行錯誤している人たちが大勢いることを知っている。


僕もまだまだわからないことだらけ。自分の感覚を大切にしていて、誰が良いと言おうと自分が良いと思わないものは必要としない。でもそれが今の自分にはわからないだけなんじゃないかっていう気持ちは常に持つようにしている。


質の高い低いはもちろんあって、そこはしっかり判断していきたいんだけど、良い物にもいろいろある。好みもある。質はちょっと低いけど個人的に好きってのもある。
いろいろな経験を重ねて、ある時、前はわからなかったものの良さがわかる瞬間は格別だ。


その一方で、経験してなくてもわかることだってある。コーヒーの話で、よく焙煎もしたことないのにコーヒーを語るなみたいなことを言う人がいるが、確かに焙煎をすると見えてくるものはたくさんある。僕程度だとまだまだだけど、何十年も焙煎をし続ける中で、多くの発見がありコーヒーを理解できるとは思う。


でも焙煎をしたことなくても、コーヒーのことをあーだこーだ言っていい。コーヒーの味なんて焙煎と関係なくわかる。料理人しか料理の味がわからないわけない。多くの料理評論家は料理が出来なかったりする。それでも料理を語れる。それでいい。みんな好き勝手言えば良いと思うし、それでいて謙虚な気持ちを忘れちゃいけない。


それから同じ経験をしても同じものが身につくわけじゃない。


同じものを見ていても全然違うものが見えているんだろうなぁって思う人がいる。感覚の違い。感性の違い。話を聞くと感心してしまう。僕もこういう感覚を養っていきたい。(なんか内容が一貫してないけど気にしない…)